昭和20年8月22日、午前4時20分頃、増毛別苅沖で旧ソ連軍の潜水艦の攻撃を受けて沈没した小笠原丸。
小笠原丸は、逓信省の海底ケーブル敷設船。
樺太からの引き揚げ者600名と乗員100名が乗船していました。
生存者は、わずかに62名。
77年目の8月22日、増毛の墓地にある慰霊碑の前で、執り行われた慰霊祭。
私財を投じて、遺骨収集をした村上高徳氏の遺族、NTT関係者らが参列。
2006年に亡くなった作家吉村昭が「烏の浜」で小笠原丸の遭難を取材し、短編として発表しています。
文春文庫の「総員起シ」の中に入っています。
もう一度読み返してみました。
北海道増毛町大別苅の村落には、うつろな静けさか広がっていた。という書き出し。
忘れてはならない、繰り返してはならない戦争の悲劇。
私たちは、後世に伝えていかなければなりません。
ウクライナへのロシアの軍事侵攻が続いていますが、戦争のない、平和な社会を切望します。
生残で詳細の記録と70年近く経った今も事実にたどり着けていないことに憤りを感じ、今の平和は沢山の犠牲の上にあると思いました。
犠牲になってしまった方々に手を合わせました。