作詞家のなかにし礼さんがお亡くなりになりました。
石狩挽歌は、1975年、日本作詩大賞を受賞した曲。
作詞なかにし礼、作曲浜圭介。
海猫(ごめ)が鳴くから鰊は来ると 赤いツッポのやん衆がさわぐ
雪に埋もれた番屋の隅で わたしゃ夜通し飯を炊く……
石狩挽歌の一番の歌詞は、増毛の情景を唄ったものと聞いています。
1998年、なかにし礼は、直木賞候補作になった「兄弟」を発表。
その時に増毛に来町し、そのことを話されたそうです。
この本の第2章小樽の場面に増毛のことが書かれています。
小樽手宮西小学校2年生8歳の時に14歳離れた兄と一緒に増毛町舎熊に来ています。
その兄は、住んでいる家を抵当に入れ、借金をして、3日間、増毛の鰊漁の権利を買って失敗。
なかにし礼さんは、8歳の時と60代前半に増毛に来ており、増毛のことをどのように感じているのか、一度お目にかかって話を聞きたかったと思います。
昭和の作詞、作曲家の訃報が続いています。
なかにし礼さんのご冥福をお祈りいたします。
小樽は私の故郷であり、記事に出ていた遠戚のかたが隣町であったことに、不思議な親近感を感じました。
ご冥福をお祈りします。
私も「兄弟」は、衝撃的でした。
14歳離れた兄が、増毛舎熊の網元から3日間鰊漁の権利を購入。3日目に奇跡的に鰊が入るのですが、本州に運べば、倍になるので、輸送船をチャーター。しかし、岩内沖で嵐に遭い、鰊がだめになり、失敗。
なかにし礼さんは、増毛町に対し、いい思いは持っていないのではと推測しています。