1800年頃からロシアの東方侵攻に対処するため、江戸幕府は、仙台、南部、津軽藩などに北方警護の出兵を命じました。
その頃、宗谷で越年した津軽藩では、150人のうち70余人が極寒や栄養失調で死亡したと記録があります。
1810年頃より、津軽藩は比較的温暖な増毛に越年陣屋を設けて越冬。
ナポレオンの東征の影響がなくなった1850年頃から再びロシアの東方侵攻が活発化。
1859年、増毛は、秋田藩領となり、秋田藩は、増毛越年陣屋を建設。
秋田藩蝦夷地総大将を命じられたのは、家老小瀬源四郎。
1860年5月3日、総勢200人を率いて増毛に赴任。
しかし、同年12月20日罹症して、翌年正月2日に没しています。
増毛に赴任してわずか8ヶ月。40歳の若さ。
小瀬源四郎の墓は、増毛町畠中3丁目の潤澄寺にあります。
現在、境内の藤が満開。
藤棚は、4カ所。ご住職が毎年手入れをしています。
藤の見学とともに秋田藩総大将の墓もごらん下さい。